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リオネル メッシ 世界の反応

バルセロナはこの1週間、リーガ・エスパニョーラ前節のセルタ戦およびチャンピオンズリーグ準々決勝ファーストレグのパリSG戦にいずれも2‐2のドロー。アウェーでの2連戦で一定の成果を上げた。しかし、パリSG戦ではFWメッシとDFマスチェラーノが相次ぎ負傷するアクシデントに見舞われ、ただでさえ故障者の多いチームは更なる戦力ダウンを強いられた。とりわけ、セルタ戦で19試合連続ゴールという偉業を達成したメッシの不在をどのようにカバーするかは、今回の一戦の大きな見所の1つとなる。一方、DFプジョルとDFアドリアーノを欠く中で、マスチェラーノまで離脱した守備陣は、全体的な駒不足をどう解決するかが課題だ。

 しかし、2位レアル・マドリードには大量13ポイントの差を付けているうえ、4日後にはパリSGとのセカンドレグが控えるため、今回はできるだけ主力を温存しておきたいところ。スタメン入りが濃厚なFWテージョやDFマルク・バルトラはもちろんのこと、FWデウロフェウやMFセルジ・ロベルトといったBチーム所属の選手にも出場のチャンスがありそうだ。

 そして、今回最も注目を集めている1人が、肝臓移植手術を乗り越えて、セルタ戦でベンチ入りを果たしたDFアビダルだ。試合展開によっては投入される可能性も十分にあり、そうなれば1年2カ月振りの公式戦出場となる。腫瘍摘出手術に伴う治療を経て、一足先にパリSGとのファーストレグで久々の采配を揮ったティト・ビラノバ監督の判断を見守りたい。

 一方、不振からの脱出の兆しも垣間見られたマジョルカだが、ここに来ての2連敗により再び19位に転落。格上のレアル・マドリードにアウェーで2‐5と力負けした前々節はともかく、最下位のデポルティーボ・ラ・コルーニャにホームで2‐3で惜敗した前節はショックが大きい。とはいえ、幸いにも残留争いを繰り広げているライバルも足踏み状態が続いており、16位グラナダとは4ポイント差、17位サラゴサとは3ポイント差と、降格圏内からの脱出は十分に手の届く位置にある。

 故障者の続出に悩まされ続けてきたチームも戦力が戻りつつあり、この試合では出場停止のDFジェロメウを除く現時点でのベストメンバーが組めそうだ。中でもグレゴリオ・マンサーノ監督の就任以降レギュラーに定着し、最近4試合で4ゴールと絶好調のMFアルファロには大きな期待が掛かる。また、古巣との対戦となるMFジオバニ・ドス・サントスは、もしバルセロナがMFジョナタン・ドス・サントスを起用した場合、初の兄弟対決を迎える。この試合最大の目標となる連敗脱出のためには、守備陣の踏ん張りが欠かせない。相手はメッシの不在や主力の温存により攻撃力が落ちるのは間違いないだけに、何とか最小失点に抑えて勝ち点をもぎ取りたい。



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【予想スタメン】
・バルセロナ[4‐3‐3]
GK:13.ピント
DF:2.ダニエウ・アウヴェス、15.マルク・バルトラ、25.ソング、19.モントーヤ
MF:16.セルヒオ・ブスケツ(28. セルジ・ロベルト)、11.チアゴ・アルカンタラ、4.セスク(8.イニエスタ)
FW:27. デウロフェウ(9.アレクシス・サンチェス)、7.ビジャ、37.テージョ

・マジョルカ[4‐2‐3‐1]
GK:13.アワテ
DF:2.ハットン、16.ヌネス、17.ビガス、20.ルナ(23.ケビン)
MF:19. ルイス・マルティー、12.ティッソーネ、21.アルファロ、5.ピナ、9.ジオバニ・ドス・サントス


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リオネル・アンドレス・メッシ(Lionel Andrés Messi, 1987年6月24日 - )は、アルゼンチンサンタフェ州ロサリオ出身、リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナに所属するアルゼンチン代表のサッカー選手。ポジションはウイング、センターフォワード、攻撃的ミッドフィールダー。イタリア系アルゼンチン人である。


幼少期

アルゼンチンのロサリオにて、工場労働者の父とパートタイムの清掃員である母の間に生まれた[3][4][5]。父方の祖先アンジェロ・メッシはイタリアのアンコーナ出身であり、1883年にアルゼンチンに移住した[6][7][5] 。5歳の時には父親がコーチを務めるクラブで本格的にサッカーを始め、1995年には地元のクラブであるニューウェルス・オールドボーイズに入団する。10歳の頃成長ホルモンの分泌異常の症状(低身長)が発覚、治療なしでは身体が発達しないと診断され、成長ホルモン投与などの治療が必要とされたが、ニューウェルズ・オールドボーイズに治療費の工面を拒否され、そしてリーベル・プレートも獲得を諦めた。


バルセロナ入団

人生の転機となったのは、13歳の時に受験し合格したスペイン、リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナの入団テスト。当時の監督カルロス・レシャックは彼のプレーを一目見ただけでその小さな身体に驚くべき才能と将来性が宿っていることを悟り、すぐさま合格を決めたという。FCバルセロナは家族揃ってのバルセロナへの移住を条件に治療費を全額負担することを約束し、家族もこれを快諾。2001年3月1日正式契約を結びスペインでの新たな生活を始めることとなる。この時、彼の身長は143cmだった。治療のため一家での引越しだったとはいえリオネル少年にとって生まれ育った母国の友人らと別れる事になるのは子供心にショックな事だった。スペイン在住となってからでもアルゼンチン時代の幼なじみや友人知人とはこまめに連絡を取り合っていた[8]。

ユースチームで治療とトレーニングを続けた結果、身長は169cmまで伸び、選手としても一流のテクニックを披露するまでに成長。2004-05シーズンにはわずか17歳にして、プロのサッカー選手としての生活が始まった。2004年10月16日に第7節エスパニョール戦でプリメーラ・ディビシオン・デビューを果たすと、2005年5月1日の第34節アルバセテ・バロンピエ戦で初得点。17歳と10ヶ月7日で決めたこの得点は、後にメッシ自身のアシストからボージャン・クルキックが17歳と51日で記録するまでクラブ史上最年少得点だった。このシーズンはレギュラー定着とはならなかったが、その才能をのぞかせ、リーガ制覇を経験した。


いつみてもバルサの試合は盛り上がりますね
華麗で美しいサッカーですよ!

メッシの復帰願ってます
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